0118-udon no yoru

腰の痛みが限界である。

学生時代、先生たちに散々「陶芸家はヘルニアと隣り合わせ」と言われ、腰にコルセットを巻くように筋肉をつけておくことを勧められていたのだけれど、ここ3年でかなり身をもって実感した。

随分改善していたのに、最近また巻き肩と猫背も酷くなっている。

何より呼吸が浅いのはいけない。
気持ちが内向きになる。

…と、自分の身体の観察を怠らないのはよいことなのだけど。長く続けていくために、やっておいたほうがよいことが多すぎる。

 

慣れない仕事と締切に追われていたあれこれが昨日でやっとひと段落。これで1月の山場は越えた。
自分で言うのもなんだけど、本当によく働いたなあと思う。

が、まだまだやることはあるので、慌てず冷静に淡々と手を動かす毎日は続く。

言い聞かせなくても、最近は比較的慌てなくなってきた気がする。

うまくいかないこともあるけれど、うまくいかないなりに、今日はそんな日なんだなとその日なりの折り合いをつけながら毎日を繰り返す。

何の問題もなく、何もかもがうまくいくなんてことは幻想だったんだなあと。
こういうことは、大人になればみんな気がつくのかもしれない。

大した人間じゃないなあ、くだらないなあと自分に対して思うことも、別に卑下するわけじゃなく、ただ程度を知っているだけのことで、それを知ってさえいれば、なんだって どうにだってできると思える。

そういうことを考えながら、この半月、企画書を書いていた。

足元をよく見つめて、身の丈に合う…と言うと何だかあまりよくない表現に感じなくもないけれど、自分にとって無理のない言葉、ちゃんと身体から出てくる言葉を使っていると、とても楽だ。読まれることが怖くない。

そうやって書いたことのないものをうんうん唸りながら書いて、それに応じるかたちで寄せてもらった文章があんまりあたたかくて、またまんまと狼狽えた。

本当に何というのか、この人生…

ここ20年弱の中で、いまが一番しあわせだと思う。

あぁこんな目に遭わないといけないのか、と がっかりするようなことも起こりはするけれど、ただがっかりするだけで、近頃あまり傷ついたりもしなくなった。

そんなことではもう何も奪われるような気がしない。
本当にただがっかりして、とてもかなしいと思うだけ。

 

夜はシェアハウスのみんなとうどんを食べた。
めずらしく全員揃った夜。年明けからなんだかみんなバタバタしていて、揃って顔を合わせるのは今年初めてだったかもしれない。

うどんはアトリエにいるアーティストの方のお土産。
茹でるとこんなに膨らむとは…!と、思いの外食べきれない。

ひさしぶりに家にいたひとりがおかずを作ってくれていたり、みんな何かしらを持ち寄って豪勢なうどんパーティだったことも理由だと思う。

年始に撮影で来ていた元シェアメイトの置いていってくれた辻占も、それぞれ2つ引いた。(本当は3つ引くものらしい)

今年は豊年万作、渡る世間に おにはない
と出た。それぞれなんとなくしっくりきたり、背中を押されるような言葉が並ぶ。幸先がいい。

年始に神社で引いたおみくじも、とても良いことが書いてあった。
いいことは全部信じていこうと思う。